少年雜誌

 小學校にはひつてから、彼は少年雜誌「小國民*[#「*」は行右小書き]」を毎號愛讀するやうになつた。それは當時(明治二十年代)の時代の思想を反映して、銅版畫などの插繪の豐富に入つた、すこぶる文明開化趣味の横溢した少年雜誌であつて、それが祖父の影響と相俟つて、後年の彼の特異なる趣味を培《つちか》つたものといへよう。[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]* 彼の書庫の一隅にその明治二十七八年ごろの「小國民」が一束藏せられてある。しかし、これは晩年になつてから古本屋で見つけて新たに買ひもとめたものださうである。[#ここで字下げ終わり] 小學の學科のなかでは、これは父讓りで、數學が一番得意であつたといふことである。又、彼は幼時から大へん音樂が好きであつた*[#「*」は行右小書き]。[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]* 「四季」萩原朔太郎追悼號所載、萩原彌六「兄の事」參照。[#ここで字下げ終わり]

          ※[#アステリズム、1-12-94]

 彼は十四のとき前橋中學に入つた。(明治三十二年)その中學校は「利根川の岸邊に建ちて、その教室の窓々より、淺間の遠き噴煙を望むべし。昔は校庭に夏草茂り、四つ葉のいちめんに生えたれども……」と彼は後年故郷を望み見ながら書いてゐる。「……われの如き怠惰の生徒ら、今も猶そこにありやなしや。」「……我れ少年の時より、學校を厭ひて林を好み、常に一人行きて瞑想に耽りたる所なりしが、今その林皆伐られ、楢、樫、※[#「木+無」、第3水準1-86-12]の類、むざんに白日の下に倒されたり。……」 中學にゐたころの彼の孤獨な姿は、さういふ後年の彼自身の詩篇(「郷土望景詩」)によつて彷彿される。

          ※[#アステリズム、1-12-94]

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