上州赤城山の麓

 萩原朔太郎は明治十九年十一月一日*[#「*」は行右小書き]、上州赤城山の麓、利根川のほとりの小さき都會である前橋市に生れた。[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]* 彼はいつも自ら明治二十一年生れと記してゐたが、それは誤つてゐたのである。しかし、十一月一日に生れた長子であつたので、朔太郎[#「朔太郎」に傍点]といふ名をつけられたといふのは本當である。[#ここで字下げ終わり] 父萩原密藏は、大坂の人で、明治十五年東京醫學校を出られると、ただちに前橋に來られて、醫を業とせられてゐた。母は慶といつて、川越の八木氏の出である。そして長子である彼の他には、三人の妹と一人の弟とがゐる。 彼はその兩親よりも、母方の祖父に一番似てゐると云はれる。その祖父八木|初《はじめ》といふ人は、川越松平藩士で、會津戰爭のとき、越後法師温泉にて、敵方の隊長河合某を六連發のピストル*[#「*」は行右小書き]にて打ちとつたことのある人である。非常に嚴格な人であつたさうだが、又なかなかハイカラな趣味の持主でもあつて、さういふ點でも將來の詩人となるべき彼の上には深い影響を與へたのであらう。[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]* 彼の晩年に書いてゐた一册の手帳に「ピストルの話」といふエッセイのための草案らしいものが二三頁にわたつて記せられてあるが、それはその祖父の若いころの話をすぐ私に聯想せしめた。[#ここで字下げ終わり]

          ※[#アステリズム、1-12-94]

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