二、三度お逢いした後のある朝

「……そうして二、三度お逢いした後のある朝、いつも供《とも》に連れておいでになる腰元《こしもと》がまいりまして、何とも言わずに置いて行った螺鈿《らでん》の小箱。開けて見ますと、思い掛けない、つけ根から切りはなした蚕《かいこ》のようなふっくらとした白い小指が入っておりました。……この以前も、このようなものをむくつけに送りつけられたことはないでもございませんでしたが、いたずらな町家娘《まちやむすめ》とわけがちがい、向《むこう》さまは由《よし》あるお公卿さまのお姫さま。そんなご身分の方が、あちきのような未熟な者をこれほどまでにと思いますと、嬉しさかたじけなさが身に浸《し》みまして、あちきもとり逆上《のぼせ》たようになり、使いや文《ふみ》で、せっせとお誘いいたしたのですが、どうしたものか、お出《い》ではおろか、お返しの文もございませぬ。その頃、殺手姫さまは、金杉稲荷《かなすぎいなり》のある、小石川《こいしかわ》の玄性寺《げんじょうじ》わきのお屋敷に住んでいられましたが、今もうし上げたようなわけなので、あちきもたまりかね、玄性寺の塀越しになりと、ひと目お姿を見たく思い、その時差上げたのが先刻《さきほど》の手紙。……参詣《さんけい》旁々《かたがた》遠眼にお姿を拝見したいから、六ツ半ごろ、眼に立つところにお立ち出でくださるようにと書いて差上げました。……殺手姫さまのお屋敷には、玄性寺寄りに高い高殿《たかどの》がありますので、あちきのつもりでは、そこへお立ちになった姿を拝見しようと思ったのでございました」 聞けば聞くほど意外な話で、源内先生は伝兵衛と眼で頷き合ったのち、「いや、よくわかりました。それで、その後、殺手姫さまといわれる方は……」「……その後《のち》、ようやくお眼にかかれるようになり、その時のお話では、わちきのところへしげしげお渡りになったことがお父上さまの耳に入り、手ひどい窮命《きゅうめい》にあって、どうしても出るわけにはゆかなかったということ。その後、お父上さまが京都にお帰りになったので、また元通りにお逢い出来るようになりましたが、人目の関があって、芝居茶屋の水茶屋のというわけにはまいらなくなり、あちきの方から、日と処をきめて文を差上げ、日暮里《にっぽり》の諏訪神社《すわじんじゃ》の境内や、太田《おおた》が原の真菰《まこも》の池のそばで、はかない逢瀬《おうせ》を続けていたのでございます」 路考は、怯えるように、急に額のあたりを白くして俯向き加減に、「……どこと、はっきり申上げるわけにはまいりませんが、打ちとけたお話をしている時にも、何かゾッとするような恐ろしい気持に襲われることがあり、以前にも申上げましたが、こちらの胸にじかに迫るような不気味なところもあって、どのようにそれを思うまいとしても、どうすることも出来ません。……いかにもお美しく、たおやかなお方ですがあまりにもお妬《ねた》みの心が強く、心変りがするようなことがあったら、お前も相手の女も決して生かしてはおかぬというようなことを、繰返し繰返し仰せられます。痴話のなんのという段ではなく、顔を蒼白ませて、呪言《のろい》のように言われるのですから、さすがのあちきも恐しくなり、従って心も冷えますから、急に瘧《おこり》が落ちたようになる。三度の文も一度になり、仮病《にせやまい》をこしらえたり旅へ出たり、何とかして遠退《とおの》く算段《さんだん》ばかり。とうとう、ふっつりと縁は切れましたが、それでも、二人が初めて出逢った一月の三日には、この十年の間、欠かさず細々と便りがございます」 源内先生は、ふう、と息をついて、「これは[#「「これは」は底本では「 これは」]大した執念だ。……して、その殺手姫さまといわれる方は、どこにどうしていられる」「噂に聞きますとお父上さまのお亡くなりになった後、何かたいへんにご逼迫《ひっぱく》なされ、江戸の北の草深いところに、たった一人で住んでいられるということでございます」

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