第五高等學校

 前橋中學を出ると、彼はこんどは第五高等學校に入つた。そして一年ばかり熊本に行つてゐたが、その翌年第六高等學校に轉校して、岡山に行つた。そこでは獨法科に籍をおいてゐたが、二年のときパラチブスに犯されて數ヶ月病臥した。そしてそのまま中途退學をした。 それからは主に東京と前橋とで暮らしてゐた。(明治四...

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少年雜誌

 小學校にはひつてから、彼は少年雜誌「小國民*[#「*」は行右小書き]」を毎號愛讀するやうになつた。それは當時(明治二十年代)の時代の思想を反映して、銅版畫などの插繪の豐富に入つた、すこぶる文明開化趣味の横溢した少年雜誌であつて、それが祖父の影響と相俟つて、後年の彼の特異なる趣味を培《つちか》つたも...

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上州赤城山の麓

 萩原朔太郎は明治十九年十一月一日*[#「*」は行右小書き]、上州赤城山の麓、利根川のほとりの小さき都會である前橋市に生れた。[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]* 彼はいつも自ら明治二十一年生れと記してゐたが、それは誤つてゐたのである。しかし、十一月一日に生れた長子であつたので、朔太郎[...

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